前回、千葉急行電鉄の計画立案、建設、開業、そして廃業という苦難の歴史を見てきました。
千葉急行線を引き継いだ京成千原線ですが、本来の目的地は、小湊鉄道の海士有木駅です。
海士有木までの延伸計画はどうなっているのでしょうか?そして、京成線が来るはずだった海士有木駅は今、どうなっているのでしょうか?
(千葉急行の苦難の歴史を辿りたい方はこちらをどうぞ。)
開業6年で千葉急行はなぜ経営破綻をしたのか?作って使わなかった施設を見に行く
千葉急行から京成千原線になってどうなったか?
1997年10月1日。自主廃業をした千葉急行に代わり、京成電鉄が千原線として運行を開始しますが、この時、ダイヤは変わりませんでした。
しかも、千葉急行線の高額な運賃はそのまま。京成と運賃が通算されることもなく、今現在でも、千葉中央を跨いで乗る場合には、初乗りが2回取られる状態になっています。
千葉急行の約60人いた社員のうち、京成からの出向者を除く25人は、全員京成グループに雇用が引き継がれましたので雇用の面では問題ありません。
一方で、この時点で千葉急行が持っていたちはら台から海士有木までの免許線は京成電鉄に引き継がれます。また、単線で開業した千葉急行ですが、1日4万人の乗客になった時、千葉中央ーちはら台間を複線開業するとされました。
ちなみに、現時点では2万人程度の乗客数ですので、複線化は難しそうです。
ちはら台ー海士有木間8.2kmの事業免許の着工期限は2029年10月14日。果たしてどうなるのでしょうか?
現地はどうなっているのか?
こちらはちはら台駅です。1面2線のホームですが、2面3線にできるように用地が確保され、準備工事もなされています。緩急結合(急行が各駅停車を追い抜く)はできそうです。

ちはら台駅のホームから海士有木駅の方を見てみると、しばらく線路が続いています。

200メートルほど線路が続き、終点はこんな感じです。線路が錆びついていることから、ここまで列車は入ってきていないのだと思います。

脇の県道から撮影するとこんな感じです。車止めはありません。一方で、線路が敷かれていなくてバラストの部分にも架線が貼られているちょっと変わった形になっています。

土地売却騒動
ちはら台から海士有木まで、千葉急行は土地をかなり確保していました。しかし、経営難だった千葉急行はこれらの土地を売却してしまいます。
そもそも、千葉急行が大森台まで初めて開業する以前の1988年に、土地売却は発覚しています。売却したのはちはら台から海士有木までの区間、5か所で計24000hm。売却資金は借入金の金利に充てていたようです。ちなみに、バブル景気真っ只中での売却で、その後これらの土地は転売されて最高で10倍の価格になったようです。もう2年後に手放していれば、千葉急行はかなり儲かったのに・・・。
売却されずに残った土地は市原市能満地区の山林5500hm。
この問題は国会でも取り上げられて、
「御指摘の第二期線予定沿線の保有土地を千葉急行が売却をしたというようなことについてのお尋ねであるわけですが、売却したのは事実ございますけれども、鉄道予定用地というものではないというふうに聞いております。」
と当時の運輸省地域交通局長は答弁しています。
海士有木駅に行く
千原線が到達目標として、現在でも京成が免許を保持している、小湊鉄道の海士有木駅はこんな感じです。

ザ・ローカル駅という感じです。
小湊鉄道はこのような駅がゴロゴロしています。よく言えばレトロ感がある。悪く言えば手が入っていないというところです。
このような感じなので、よくテレビのロケとかに使われています。昭和の時代を再現するにはうってつけな路線です。
この海士有木駅は無人駅です。事務室の中は時間が止まったような感じでした。

駅舎の中はいろいろな写真が貼ってありましたが、フルボケていました。ここは無人駅なので、しれっと防犯カメラが設置されていました。

これが駅舎の外にあったお手洗い。これ以上は撮影していませんが、まあ、良くもこんなものが残っているな、という感じでした。

五井駅の方を見ています。右側の鉄骨は錆び付いています。


千葉急行/京成千原線の海士有木駅は、実際には小湊鉄道の海士有木駅ではなく、少し上総中野寄りのところに駅を作る想定だったようです。
それがこちら。思いっきり田舎。という感じです。ここに乗り換え駅ができるのか・・・。

この辺りの土地の一部は京成電鉄によって買収されているらしいです。登記簿とか取っていないので、どこが京成の社有地だか分かりませんが。。。
果たして、ここまで京成千原線が延長するかといえば、まあ個人的には無理だと思います。京成がなぜいまだに免許を維持しているのか理由はわかりません。流石に次回は延長申請をしないのではないかと思いますが、できていたら色々と良かったのではないかと思います。
【参考】
京成電鉄五十五年史
朝日新聞縮刷版