山万ユーカリが丘線は、千葉県佐倉市のニュータウン(ニューと言っても出来て既に40年くらいにはなっていますが)を走る新交通システムです。この路線、ずっとぐるぐる走っていますが、実は延長計画がありました。
今では完全に忘れ去られてしまい、書籍にもネットにも特に何も言及されていませんが、当時の新聞記事を参照しながら、山万と地元自治体が追いかけた夢を再構成してみたいと思います。

山万ユーカリが丘線とは?
山万ユーカリが丘線は、中堅不動産ディベロッパーの山万が開発した千葉県佐倉市にあるニュータウン、ユーカリが丘の中をラケット状に走る路線です。始発駅は京成線と接続するユーカリが丘駅。終点も京成線と接続するユーカリが丘駅です。ユーカリが丘駅がラケットの柄の一番下の部分と思ってもらえればいいです。
この山万ユーカリが丘線、地区センター、公園、女子大、中学校という、一般名詞すぎる駅ばかりで有名でもあります。
2008年に、駅名を変えようと新しい駅名の公募を始めたものの「変えないで!」という声が多数来たようで、このままの駅名です。

1982年にユーカリが丘駅から中学校駅まで開業。翌年の1983年に中学校から公園まで開業します。
それ以来40年。ずっと変わらずラケット状の線路を走っています。全長4.2kmで、総工費は二期工事分を合わせて約50億円だったようです。
車両の「こあら号」もずっとこのまま。40年間、1編成3両編成のこあら号が3本走っています。ちなみに、この車両にエアコンは付いていません。
夏になると「冷房がない!」と話題になります。
真夏には、冷凍おしぼりがもらえます。
この山万の新交通システムは「ボナ」と呼ばれる規格で作られています。ボナは愛知の桃花台交通ピーチライナー、京成谷津遊園にありましたが、2つとも既に廃止されているため、国内ではここ山万ユーカリが丘線だけです。列車は3両編成で全長26m、定員205人。表面を樹脂で固めた軌道上を、電気を動力にゴムタイヤをつけた車両が走る仕組みです。
延伸計画とは?
山万はこのラケット状の線路を建設しながら、この新交通システムをユーカリが丘駅からさらにJR佐倉駅まで計画を立てました。想定した延長区間は約10kmです。
ルートは、ユーカリが丘駅から東急不動産が同市飯重に建設を計画しているニュータウン(今の染井野ニュータウン)、当時建設中だった国立歴史民俗博物館などを経て、国鉄(JR)佐倉駅を結ぶものです。
ここはユーカリが丘線・ユーカリが丘駅の2階ですが、ここから延長を計画していたようです。

この延長線計画は地元の佐倉市も歓迎。出資には基本的に合意し、両者で計画を詰めて千葉県にも協力を要請する方針を立てました。
ユーカリが丘線の開通式に出席した当時の佐倉市長はこう言っています。
「市内の幹線鉄道は国鉄と京成だが並行して走っているだけ。新交通システムを両線と垂直に走らせることによって、ニュータウンと学校、工業団地や文化施設と結び、新しい通勤線として市の近代化に役立てたい」
佐倉市はこの時代「千葉県の副都心」としての新しい街づくりを目指していました。千葉県の副都心って・・・。時代はバブル直前。鼻息の荒さを感じます。
夢が膨らむ佐倉市
JR佐倉駅
佐倉市は、ここJR佐倉駅から、さらにその先の延長も妄想?いや企画します。
「市としては佐倉駅から総武本線を越え、佐倉第一、第二、第三工業団地を経て、千葉市千城台で千葉都市モノレールに接続するようにしたい。第三セクターにするなら、市が資本金の三分の一を持ち、資金援助もするつもりだ」
山万は、市と協議してルートなどの計画の細部を詰め、市を通して千葉県にも第三セクターへの参加を求めることとしていました。また、山万では計画の実現は6、7年先になると見込んでいました。
結局どうなったか?
その当時から見れば、未来に生きている我々は、結局こんな壮大な計画は実現しなかったことを知っています。
結局、この後バブルが崩壊し、佐倉市に新たにニュータウンを作り、開発を行うという時代ではなくなります。東急の染井野ニュータウンも、ユーカリが丘線を建設する空間すら確保されることなく、開発が終了します。
40年間、ずっと変わらず走り続けているユーカリが丘線ですが、どうやら新車が出るようです。
路線は伸びませんが、遂に待望のエアコン付きの車両!が導入されそうです。
【参考】朝日新聞、読売新聞